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館蔵作品(常設展)

丹波焼の創成期から江戸時代末期に造られた代表的な品々を分類展示。
そのうち312点は兵庫県文化財に指定されています。

古丹波 その歴史と美

 平安時代の終わりに、なぜか丹波(たんば)、常滑(とこなめ)、越前(えちぜん)などに、同じ様式の壺が造られています。それらは一般的に「三筋壺(さんきんこ)」とよばれているもので、小振りでやや外に開いて立ち上がった口造りを持ち、胴の三ヵ所に横筋の文様が施されています。

 須恵(すえ)の窯から、新しい窯業集落に変わったおおよそ八百数十年前、丹波の工人たちは、中央政庁や社寺のもとめに応じて祭器、経器、薬壺(やっこ)など、かなり上手物を焼きましたが、三筋壺もその一つです。しかし、陶土や窯の条件は、その目的に応えることができず、丹波窯はやがて大衆の生活を支える窯業集落として、独自の道を歩むことになります。
 紐造(ひもづく)りの困難な成形、長い日時と破損の多い焼成の結果に、陶工たちはどのような思いで取り組んだのでしょうか。

 今、私たちが感じる器そのもののもつ力強さや、窯業の生んだ鮮やかな緑の自然釉(しぜんゆう)も、不可抗力な焼物造りの障害の産物だったのではないでしょうか。
平安末期から慶長年間に至る穴窯(あながま)の時代は、ひたすら成形と窯とのたたかいであったのです。
 慶長末年、登窯(のぼりがま)の導入によって、新しい技法を得た丹波の陶工たちは、轆轤(ろくろ)、釉薬(ゆうやく)を巧みに使い斬新な仕事ぶりをみせます。それは生活の用に即した、美しく逞しい器の数々でした。
登窯と塗土が生みだした燃えるような「赤土部(あかどべ)」の輝きは、すでに陶工の心にかけがえのない“美”として映っていたでしょう。それは、陶土の悪さに阻まれた穴窯の焼締(やきし)め無文の時代とは大きくイメージを異にするものです。

 江戸時代末期になると、さらに新しい釉薬や漉土(こしつち)による陶土の改善がなされ、白、黒、灰、鉄などの釉薬の掛け合わせによる多彩な文様と、さまざまな用途をもつ器が生まれました。
 平安時代末期に生まれ、いつの時代にも衰微することなく、常に生活の器を焼き続けてきた丹波焼は、間違いなく日本民陶の歴史を代表する焼物なのです。

 当館の「古丹波コレクション」は、初代館長中西幸一と二代館長中西通が約80年に亘り蒐集してきたものです。